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退会済み 投稿 - 2011/09/03 更新 - 2011/11/20 2 Comments 395 Views
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箱の中にソレを詰めて森の奥に捨てに行こう
急なカーブ曲がる度に 後部座席 右に左
車は弱い方だった? もう酔わずにすむね

たまに見える家の灯り こんなトコも人の住み処
おもちゃじみたツーバイフォー 中は何をしてる人ぞ
何でもアリさ 人は自由で なににもなれる

そのひとときは僕がルールさ
動けないでしょ 僕が決めてる
どうあがいても外せない枷
この世にはある 教えてあげる

箱の中にソレを詰めて森の奥に捨てに行こう
深い森の 森の奥へ

ラジオ ニュース “胸が痛い” 引っ掻かれた腕は痒い
箱の中のソレに罪は、そうね、きっと、無いんだろう
僕にも罪は無かったはずさ なのにみんなは

ソレが出会う予定だった あしただとか あさってなら
おとといでもあったようなありふれてるものだからさ
今更ふやす必要ないよ 手間 省けたね

「やられるだけで 何もできない
 情けなくない? 人間として」
ヤラレルだけで 何もできない
情けないかい? ニンゲン? なのか?

箱の中にソレを詰めて森の奥に捨てに行こう
深い森の 森の奥へ

輪になって踊ってる
手や足や首や胴
つながっていなければ
みんな仲間だ
気兼ねは無いよ
友達なんだ

ゴミと土砂で飽和しきり見放された投棄場所へ
規正法とやらに触れる家庭用の焼却炉で
汚した肉は濃度の高いダイオキシンに

ソレが出会うこともできた あしただとか あさってにさ
半分でも出会えてたら別なことをしてたろうか?
おんなじかもね 結局好きなだけなのかもね

指の食い込む 喉の弾力
抱く腕の中 硬くなる四肢
それを感じている間だけ
悪い夢から覚めているのさ

箱の中にソレを詰めて森の奥に捨てに来たよ
深い森の 森の奥へ

ゴミの山で傾いてる業務用の冷蔵庫の
上の段の右端から日付順に並べてある
月の明かりに ほのかに白く 浮かんで見える

穴の開いた古い一つ かざし見れば笛に似てる
噛み付かれた口を寄せてそっと息を吹き込んだら
獣が鳴いた 人に聴こえぬ音が鳴ってる

ある朝 不意に 外のルールが
カメラをしょって吊るしに来ても
僕はふわりと宙に浮くのさ
背に羽のある胴に抱かれて

カラになった箱を焼いて人の街に帰り行こう
深い人の 人の森へ

輪になって踊ってる
手や足や首や胴
歌うたい待っている
みんな仲間だ
気兼ねは無いよ
友達なんだ

2 Comments

退会済み
2011/09/05
Delete
こんにちは。

これを「歌」の形で表現することそのものに、とりあえず一票入れます。

素晴らしく良く出来ているし、長さ以外は特に文句は無いです(いや、長さはある意味致命傷かもしらんが)。

でもなあ。

これが、映画でもなく小説でもなく、歌である、その意味とか必然性とか、どうしても考えてしまう。

私は自分が書いたものを自分で人前で歌っているので、「歌う」ことを主体的にイメージしているかどうか、そこいらへんがキーになるのかな、と思いました。
退会済み
2011/09/10
Delete
コメントありがとうございます。

長さが致命傷というのはその通りだと思います。ポピュラーソングの多くは3分前後。この作品は9分を超えています。この長さを、歌詞も聞き取りながら最後まで聴いてくれる聴き手はいないでしょう。歌の体を成していないということだと思います。

なので受け手の人が「なんでこれを「歌」でやるの?」と思うのは当然だと思います。それに対する答えになるような前向きな意味での必然性はこの作品にはありません。私にはこれを映画や小説という形で表現する技術・根気・時間が無かったので、とりあえず歌という形で表現してみたということで、そこには歌である必然性は無く、単なる台所事情的成り行きがあるだけです。その事情は作り手の私にとってはそれなりに切実な事情でもありますが、受け手の人にとっては「そんなことこちらには関係ありません」という事情でしょうから、後には「なぜこれを「歌」に?」という疑問だけが残ることになるでしょう。歌にするなら歌にするで、時間的に圧縮するとか、もう少し何か工夫が必要だったのかなと思いました。
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