夜の絵をかく
夜を見てかく
夜は暗くて
よく見えない
黒く塗るけど夜には似ない
夜を見れない瞳の色だ
夜の絵をかく
昼を見てかく
昼の光に
夜 見いだす
薔薇の色にも夜がみつかる
薔薇の抱える緋色の闇が
みにくいものを
みつめてかくと
目が良くなって
眺めが変わる
変わる眺めは
キレイだろうか
キレイなだけで
いいのだろうか
答えが出るまで夜の絵をかく
鬼の絵をかく
鬼を見てかく
鬼は怖くて
よく見れない
ツノをかくけどツノに見えない
ツノに怯えた尻尾のようだ
鬼の絵をかく
人を見てかく
人の心に
鬼 見いだす
人の顔した鬼に気が付く
人に棲んでる数多の鬼に
みにくいものを
みすえてかくと
怯えが減って
ツノが掴める
掴めたツノは
鬼のだろうか
やっと捕らえた
自分のだろか
答えが出るまで鬼の絵をかく
答えが出るまで夜の絵をかく
答えが出るころ僕を絵がかく
夜を見てかく
夜は暗くて
よく見えない
黒く塗るけど夜には似ない
夜を見れない瞳の色だ
夜の絵をかく
昼を見てかく
昼の光に
夜 見いだす
薔薇の色にも夜がみつかる
薔薇の抱える緋色の闇が
みにくいものを
みつめてかくと
目が良くなって
眺めが変わる
変わる眺めは
キレイだろうか
キレイなだけで
いいのだろうか
答えが出るまで夜の絵をかく
鬼の絵をかく
鬼を見てかく
鬼は怖くて
よく見れない
ツノをかくけどツノに見えない
ツノに怯えた尻尾のようだ
鬼の絵をかく
人を見てかく
人の心に
鬼 見いだす
人の顔した鬼に気が付く
人に棲んでる数多の鬼に
みにくいものを
みすえてかくと
怯えが減って
ツノが掴める
掴めたツノは
鬼のだろうか
やっと捕らえた
自分のだろか
答えが出るまで鬼の絵をかく
答えが出るまで夜の絵をかく
答えが出るころ僕を絵がかく
2 Comments
2012/08/04
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これはもう、正統派、うなれオオムコウ!みたいな。
良くできてますねえ。
歌詞に関してはメダルは確定、最後の一行をどう評価するかでその色が変わるってかんじでしょうか。
曲、悪くないんですが、根本的な部分で、たまにはちょっと難癖を。
「夜」と「鬼」はアクセントが真逆ですよね。
日本語は英語みたいなストレスアクセントじゃなくピッチアクセントなんで、メロとモロにシロクロついちゃうケースがある(そういう意味では英語より音楽的とも言える)。
この曲も、「よるの」が上下〇(〇は上も下も可)「おにの」が下上〇、のところに、メロを上下下と付けちゃったんで、1番の素直さに対して2番がいかにもツラく聴こえる。
詞先曲後のテクニック(そんなものがあるとすればですが)としては、少なくとも曲アタマだけでも、その部分の3音は同一音にするのが正解だと思います。
一回耳で聞いて、その対象とするものがイメージできた後なら、メロとアクセントがずれても、まあ、セーフでしょうけどね。
2012/08/04
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アクセント逆転は作詞時点から気になってました。1966年生まれの私には
・歌詞のアクセントとメロディの上下動は基本同じ
・一番のメロディーと二番、三番のメロディーは基本同じ
という感覚があります。「夕焼けこやけの赤とんぼ」の「赤とんぼ」のとこ、現代の東京弁感覚だとアクセント逆転に一見思えるけど、実は作詞者の出身地の当時のアクセントだと「あ」が「か」より高かったって話ありますね。
この詞の場合、意味にうまく合う「夜」と同アクセントの単語が思いつかなくて。1番2番冒頭がアクセント逆なのでどう付曲してもどっちかアクセント逆転になり伝統的歌詞観から逸脱しますね。70年代の松任谷由実あたりからアクセント逆転が多用されだしてセオリー感薄まってるから良いかと思い付曲したんですが、古典的唱歌風のゆっくりした曲なためか、自分で聴いてても2番の「鬼」、気持ち悪くて。
「Gunjo Lyricsに来る様な若い人は語の高低とメロの上下動の関係に鈍感だろうからいいか」と高をくくってましたが思いっきり指摘されてしまいました。若いユーザさんには内緒ですよw